ひっそりと。

30代のゆるりとした底辺生活を、つらつらと。

引きこもり無職がしてはいけない行動リスト

引きこもり無職になると、

引きこもり無職がしてはいけない行動リスト

積み上げのない逆転劇を夢想

引きこもり無職が長引くと、その無駄にした引きこもり期間分の結果がドン!と欲しくなります。
何も積み上げてきていないクセに、積み上げてやっと得られる結果を欲しがります。

そうでないと、引きこもってきた期間を否定することになるからです。

けど当たり前ですがよほどの強運の持ち主でもない限り、何もしていないところに逆転劇は起きません。
何もしていないのに、大きな結果がやってくることはありません。

何もしていないのに逆転劇を夢想してしまうのは、終わりの始まりです。

夢想して欲する結果と行動して現実的に得られる結果が、どんどん乖離していきます。
引きこもれば引きこもる分、欲する結果は大きくなります。
ですが引きこもれば引きこもるほど、行動して現実的に得られる結果は小さくなります。

すると、どんどん行動して現実を見ることが怖くなります。

ですので、積み上げのない逆転劇の夢想はしてはいけません。

衝動的な行動

引きこもりが長期化すると、衝動的な行動をしがちです。
まあ衝動的というよりは、続かないから結果、衝動的な行動としてカウントされるという感じですが。

しかしこの衝動的な行動には、引きこもりを脱するためには本当に意味がないです。
衝動的な行動は、その場の気分の解消でしかないですからね。

いろいろやってる気になって満足する分、社会復帰を考えたらむしろマイナスかもしれない。

アヤシイ団体への課金、加入

衝動的な行動だけならまだしも、怪しい団体への課金や加入をしだしたらかなり危ないです。
オンラインサロンやプログラミングスクールなどなど…。

そういう怪しいモノは、無条件でダメな自分を肯定してくれます。
衝動的な行動しかしていない自分を「頑張ってる。その行動が第一歩。進んでる。」とかナントカ言ったりして、やさしく包み込んでくれます。

だって、お客さんですからね。

最近知り合った誰かをいきなり信用する

引きこもりが「最近知り合った誰かをいきなり信用する」って、引きこもりが最もやってはいけない行動かもしれません。

引きこもりは劣等感や焦燥感はあれど、行動できないから引きこもりを続行しています。
「就職しないといけない」「外に出ないといけない」
耳が痛いので、目を背けて引きこもりをしています。

就職なんてしなくてもいい、外に出なくてもいい。
このような肯定を欲しています。それがいけないこと、できないことと分かっていながら。

焦燥感や不安感、劣等感も相まって、引きこもりはこういう肯定に超ド弱いです。

引きこもりはそういった意見を信用、信頼しがち。

最近知り合った誰かが、こういったアヤシイ人間である可能性は結構高いです。

裏になにかあるかもしれない肯定意見なのか、自分のことを考えてくれての肯定意見なのか。
知り合ったばかりでは、判断し兼ねます。

しかしリアルから目を背けていると、こういった甘言ばかりが周りに集まってきます。
当たり前ですが、そういった甘言には怪しい人もかなり多いです。

なので、引きこもりが最近知り合ったばかりの誰かをいきなり信用するのはかなり危険です。

行動なき自問自答

行動なき自問自答も、引きこもりがやりがちな行動の1つです。

「行動しなくてもいろいろ考えた分だけ思慮深くなる。」
なんて思いがちですが、そんなことはありません。

その思慮は、行動を止めてしまうだけ。
結果行動をしない、そんなことは考えなくたってできます。

思慮だけで行動しないと、どんどん冷笑的・批判的でプライドだけは高い人になっていきます。
行動しないことを"正"とするワケですからね。

しかし周りは当たり前ですけど大なり小なり行動を重ねていろんな結果を出しています。
その結果を認められなくて、「あくまで自分はできるけどしないだけ(笑)成功はしてないかもしれないけどバカみたいな失敗もしていない(笑)」というように自分を守るようになります。

行動なき自問自答は、そういった思考が生まれる第一歩目なのかなと思います。

あと、行動すれば自問自答の内容が少しずつ変わっていきますが、行動しない自問自答は常に同じことを同じ目線で考えます。
答えはいつも違うようで、いつも同じ堂々巡り。

どんどん思考が膠着化していきます。

周りを認められない、自分は正しい。
行動できないままこの思考が膠着化するのは非常に危険です。

引きこもりが行動せずに考えるだけなのがNGなワケ

引きこもりは、「行動せずに考えるだけ」という状態になりがちです。

考えていれば考えているだけ、思考が深くなる。
その思考の深さは、行動したときに必ず役立つ。

そんな気がしますよね。

しかし行動せずに考えるだけだと、とんでもないことになります。
特に引きこもりは。

ではなぜヒキコモリが「行動せずに考えるだけ」がダメなのか?

引きこもりが行動せずに考えるだけなのがNGなワケ

考えがいつまでたっても変化ナシ(むしろ鬱化)

行動せずに考えているだけでは、考えがいつまでたっても変化しません。
自分の中では変化しているつもりでも、変化していません。

昔の自分を見つめてみると、考えに変化がなかったことを強く感じます。

行動をすると、それに合わせて考えも変化していきます。
考えが変わったことで、今度は行動が変わってきます。

互いに作用しあって、だんだんと行動や考えも洗練されていきます。

行動だけで考えナシの方が、考える材料があるだけまだマシな気もします。

考えだけだといつまでも考えが変わらなくて、鬱化する可能性すらありますからね。
考えが堂々巡りですから。

何の結果も残せていない現実

行動せずに考えるだけだと、当たり前ですが行動していないので何の結果も残せません。

とても小さな結果すら、残せていません。

失敗という結果ですら、傷つきはしますが考え方や捉え方によって糧になります。
次の行動の指針にもなります。

行動をしないということは、失敗すらありません。
次の行動の指針が、最初と変わらずずっとあるだけです。

傷つかない代わりに、何の結果もないという事実や現実がそこにあるだけです。
前に進まない代わりに、結果を得ないんです。

そうやって、心の安寧を図ります。

行動しなかったことを肯定して精神的自立をする

引きこもりが「行動しなかったことを肯定」するようになったら、いよいよ終わりの始まりな気がします。

行動しない先には何もないです。
得られるモノも何もないです。

しかし行動しなかったことをさも慎重だとか思慮深いだとか、いいことかの様に肯定していく。
ですが慎重さや思慮深さは、行動するから意味を成すんです。

行動なき慎重さや思慮深さは、取り越し苦労どころか自分を賢いと思い込むための毒でしかないです。
その慎重さや思慮深さは、行動がないがゆえにいつまでたっても洗練されませんし。

ただ、変化も結果も何もない現実から目を背けてなんとか精神を保つために、行動しなかったことをよく解釈しているだけです。

現状維持は緩やかなマイナス曲線

考えるだけ、で現状維持ができてるつもり。

仮に現状維持ができていたとしましょう。
しかし現状維持って、緩やかな衰退なんですよね。

現状維持できていたとしても、周りが緩やかに変化していって気が付けば大きな差に。

で、そもそも行動しない引きこもりが現状維持できているワケもなく…。

高校のテストだって勉強しているから点数を取れているのであって、数週間ならまだしも数年勉強していなかったら同じ点数は取れません。

現状維持は緩やかなマイナス曲線であり衰退。
引きこもりが行動しなかったら、現状維持すらできないのは自明。

世間ズレしていき方向転換も難しくなる

行動をしないがために考えが変化せず、いつまでたっても精神的に幼いまま。
当然何の結果もない。
しかしその現実から目を背けるために、自分に都合のいい解釈をして肯定し精神的自立をする。
現状維持どころか大幅なマイナス。同年代が出来ることが全然当たり前にできない。

これらの過程をたどって、どんどん人として世間ズレしていきます。

しかしこの時点でもう既に、自分の都合のいい解釈をする思考で固まってしまっています。
思考のクセを変えるのは、容易なことではありません。

ですので、世間ズレしていてもそこから方向転換してくことが難しくなります。
そうなると手を差し伸べてくれる人も、だんだんと減って行きます。

手を差し伸べてくれる人がいないということは、自分ひとりでなんとかしないといけないということです。
しかし客観的に見て原因を探って、それを実行する力は引きこもりにはあまりありません。

ですので手を差し伸べてくれる人を大事にし世間ズレを防いで、なんとか一般社会に溶け込むようにしましょう。

【社会復帰】引きこもりが劣等感を克服するためにすること

長期的な引きこもりから脱して、早数年が経ちました。

一般的なレベルの劣等感はあれど、社会復帰困難レベルの劣等感にまみれて苛まれるということはなくなりました。

引きこもりを脱してちゃんと社会復帰をするためには、この"劣等感"を拭うことが絶対的に必要だと感じます。

そんな小さなこと、誰も気にしてない。
こういった声は、まずいったん関係ナシ。

自分が自分の人生をちゃんと歩むために、自分と向き合う。
そのために何が必要で、どうすれば?という話。

他人が、世間が、一般的には。
それらは今は関係ない。

引きこもりが劣等感を克服するためにすること

コミュニケーションを取って自分と向き合う

人とコミュニケーションを取ることで、自分の心理と対峙します。

引きこもりが自分の心理と対峙すると、劣等感ばかりで辛い思いをします。
だから引きこもりは、コミュニケーションを避けます。

人と接しないことで、「自分はこうだからダメ」などと自分自身を突き付けられることが少なくなりますから。

しかし必要なのは、コミュニケーションを取ることでまず「劣等感の詳細な内容を知る」ことです。

なぜその劣等感が生まれるのか?
どういうときにその劣等感が生まれるのか?
その劣等感は何をすれば落ち着くのか?

劣等感を克服するためには、まず劣等感を細かく知る必要があります。

大学受験と同じ。傾向と対策を考えます。
劣等感が頻出しやすい場面の傾向や、劣等感を受け入れるための対策です。

傾向や対策もナシにぼんやりと劣等感に立ち向かっても、勝てる可能性は低いです。
大学受験ですら傾向や対策を学ぶのに、自分を完全に翻弄している劣等感に何もせずに勝てるワケがないんです。

ですので人とコミュニケーションを取ることで、まずは傾向や対策を学んで行った方がいいのかな、と。

行動しながら考える

引きこもりになると、「アレコレ考えて結局なにもしてない。けど進んだ気でいる。」なんてことがありがちだと思います。

しかし考えているだけでは、実際に何も進んでいません。
進むのは時間だけです。

ですが過ぎてしまった時間を肯定するために、精神を自立させるために、無理やり行動しなかったことを肯定します。

行動しなかったことを肯定するようになると、行動している人を見てさらに劣等感を持つようになります。
そして行動している人を否定するようになります。
自分はあんな意味のない行動はしないだとか、コスパが悪いとかなんだとか。

他者を否定して自分を肯定していきます。
どんどん行動ができなくなっていきます。

そうならないためにも、行動しながら考えていくことが大事です。

後々考えたら「アレは無駄だったコレは意味なかった」とか思うことはあります。
けれどそれは行動したから分かること、次に活かして行動のコスパを良くしていくことができます。

「考えるだけで行動しない」を続けていると、時間がすぎるだけでなく自分の現状を認められなくなります。
そして心の奥底で、劣等感がどんどん拡大していきます。
その劣等感を隠すために、行動している人を叩いて正当化。

そうなる前に、傷つく前提で行動をしましょう。

間違っていても、ゆっくり変えていってコスパを高めていけばいいんです。
怖いことは何もありません。

ネットでの受動的で消費的な娯楽を控える

受動的な娯楽は、時間の消費でしかありません。

もちろん、時間の消費がすべて悪というワケではありません。

しかし劣等感を克服するためには、もっと多くのすべきことがあります。
すべきことをした合間の時間に気持ちを楽にする、という目的があってのことならば問題ありません。

しかし引きこもりの怠惰な生活は、何の目的もなく受け身の娯楽に走りがち。

受け身な娯楽に走りすぎると、だんだんと能動的に動くのが億劫になってきます。
すると焦燥感だけが募ります。けれど何も行動できない。

行動しない生活は、劣等感を加速させます。

それと、ネットでの消費的な娯楽は考えも偏りがちになるのかな、と。

自分の心地の良い物だけを、受け身で大量に摂取していくワケですからね。
自分の都合のよい考えに流れて染まっていくのは、当然でしょう。

ネットはリアルではあまり見かけないレベルの過激な意見も多いです。

行動もしない。引きこもってばかり。
そんな自堕落な生活による劣等感を肯定するための都合のいい考えに染まるのは、とても危険です。

ですので、一定以上のネットの娯楽は自分から控えていく積極的な強さが必要なのかなと思います。
過激な意見に染まって劣等感を肯定しないために。

外で人間関係を作る

ネットは心地がいい意見、人間だけを集めることが容易です。
加えて、集めた人間関係が心地が悪くなったら切るということも容易です。

しかしリアルの人間関係は、心地のいいことばかりではないですし都合のいい意見ばかり摂取もできません。
さらに、当たり前ですが集まった人間関係が気に入らないから切るということも容易にはできません。

ですがそういう場だからこそ、一般的に求められるものもだんだんと分かってきます。
求められるモノをゆっくり身に着けていって、その場に相応しい人になっていきます。

最初は卑屈になることも多いでしょう。
卑屈になってしまったら、なぜ卑屈になるのか、どうすれば卑屈にならずに済むのか。

都合のいい心地のいい意見ばかりを摂取せず、自分の劣等感をもつポイントを探りましょう。
リアルの外での人間関係は、それを学ぶとても良い場な気がします。

健康的な生活をする

食を整え、睡眠を整えることは、とても大事です。
疲労回復に役立つ食べ物を食べて、睡眠をしてシッカリと休息を取りましょう。

劣等感に直接的に影響はないでしょうけど、健康的な生活は日々のモチベーションや行動に影響します。

日々の行動が変われば最終的に結果が変わって、劣等感との向き合い方も変わってきます。
そうしてだんだんと、劣等感に打ち勝っていきます。

直接的・間接的なことの両面から整えていきましょう。

引きこもりの生活は乱れて昼夜逆転しがちですので、規則正しい生活をして食事を健康的にしていきましょう。

自立神経が整っていないと、ネガティブ思考やイライラが重なりますからね。
本来であれば思わない、感じないようなことも、感じやすくなったりします。

劣等感がそんなに根深いものではなくて、実はただ自立神経の乱れによるものかもしれませんしね。
健康的な生活をして自立神経を整えてみる価値は、十二分にあります。

引きこもりで社会復帰をしたいなら、まずすること

長期の引きこもりから、なんとか社会復帰ができました。

今はモチベーションを高くもちながら、シッカリと働けています。
仕事とプライベートともに充実した日々を送っています。

そんな私ですが、社会復帰するまでに私なりの苦労がいろいろありました。

苦労した中で「引きこもりが社会復帰をするならコレをした方がいい」と思ったものを紹介します。

引きこもりで社会復帰をしたいなら、まずすること

面接を回避して働く

とにかく面接を回避した方がいいです。
引きこもりで「いやいや面接はしたいッスよ!」って方はおられないとは思いますが。

長期引きこもりともなると、本当に面接が嫌なんです。
私は引きこもりをしているときに「面接さえ避けられるのなら、仕事してもいいのにな~~~~~笑」なんてよく思ったりしました。

もちろん、長期的に考えたら面接を避けられないのは事実です。

ここで面接を神回避!
工場派遣労働者という選択肢があります。

派遣は面接ではなく、登録会や面談です。
なので選ばれるというよりは選ぶ側という感じです。

普通の就職面接のように、バチバチに落ちて心を砕かれるということもありません。

もちろん、面接を回避したすぎてずっと派遣労働者で満足してしまうと後々よくないんでしょうが、社会復帰の足掛かりとしての目的なら良いでしょう。

面接を神回避して、まずは働くということに体を慣らす。そして当面の生活費を得る。
これらをするだけで派遣労働者ではなく、正社員としての社会復帰が一気に近くなります。

人間関係・コミュニケーションを回避して働く

引きこもりはマジで人間関係を嫌います。
とにかくコミュニケーションを避ける傾向にあります。

もちろん長期でちゃんと社会復帰をしようと思ったら、人間関係を避けることはできません。
できたとしても、コミュニケーションをしっかりとれるようになった方がよいのは間違いありません。

しかし社会復帰をする足掛かり、と考えたらまずは働いて身体を慣らして外に出ることの方が重要です。
いきなり全部は無理です。

とりあえず働けば生活はできますから、いかにして働くかを考えます。
ですがやはり最初は、面接無理!コミュニケーション無理!なんです。

面接やコミュニケーションは、工場の派遣であれば避けることができます。
社会復帰・初手は避けられるものは避けていきましょう。

そして達成感や満足感、当面の生活費を得ていきましょう。
達成感や満足感は、精神的回復のためにとても必要なモノです。

精神科を受診

長期の引きこもりが社会復帰するためには、「精神科の受診」が必要と強く感じました。

そもそも長期間ちゃんと引きこもっている状態って、身体はおかしくなくとも精神はどこかしらおかしいですからね。
自分ではそう思えなくとも。

「面接も人間関係も回避してなんとか仕事にありついたのに、その仕事ですら辞めてしまう。」
こうなってしまっては、いよいよ社会復帰どころではなくなってしまう。

しかし面接や人間関係を回避してみても、働くこと自体が辛かったりします。気持ちの面で。
働くこと自体が辛かったときのアシスト、補助として精神科を受診してみます。

精神科を受診して薬を飲んだからといって、環境が変わるワケではないです。
ですが働いたからといって、精神がいきなり変わるワケでもないです。

精神も環境もどちらも、うまく変えていく必要があります。

自分の行動で環境を変えながら辛いときは精神科の補助を得て、最終的に結果を変えましょう。

前に進まなくとも、気持ちをなんとか前向きに。

引きこもりの社会復帰に工場就職をオススメしない理由

引きこもりの社会復帰に工場就職は、あまりオススメではありません。

当面の生活費を稼ぐ、社会復帰の一段階目として就労という行為をしてみる。
などの目的があればよいですが、ガッツリ働くのはオススメしません。

その理由をまとめてみました。

引きこもりの社会復帰に工場就職をオススメしない理由

単純作業すぎて時間が過ぎるのが遅い

人と関わりたくないという理由で、安易に工場就職するのは危険。

私はコミュニケーションを取るのが怖くて、工場就職をしました。
想定通り、私の就職した工場はコミュニケーションがほぼありませんでした。

しかし、気が楽なのは最初だけでした。

たしかに人との関わりがないので、楽です。
ですがその分、仕事は単純単調。
延々と同じことの繰り返し。

ずーーーーーーーーーっと同じ。
時間が過ぎるのが本当に遅くて苦痛。

今の仕事は人との関わりが多いため、常に気持ちや考えることが違って時間が過ぎるのが早いです。
しかし工場のライン仕事は、本当に本当に時間が過ぎるのが遅い。

けれど動画を見ながらとか音楽を聴きながらとか、「ながら仕事」ができるワケではないです。
なので暇つぶしもできない。飽きてくる。

しかし仕事はずっと変わらない。同じことを任されたまま。

仕事に飽きてしまうと、モチベーションが上がらずストレスも多く、結局やめてしまうことになります。
私はこれらが理由で、工場をやめてしまいました。

ライフワークバランスが崩れて生活が乱れる

早々に仕事に飽きてしまうんですが、なんとか無理やり続けます。
社会復帰のためだったり、お金のためだったり。

ですが仕事へのモチベーションは皆無で、ストレスマッハな状態です。
この状態になると、楽しみはプライベート全ツッパになります。

仕事は苦痛しかなく、終業のチャイムを待つばかり。
終業後はやっと解放されたといわんばかりに、遊びまくる。ストレス解消に走る走る走る!
手っ取り早くお金を使ってストレス解消。
プライベート全ツッパゆえ、めんどうなことはしたくない。

どんどん生活が乱れていきます。

プライベートはとにかくストレス解消の時間。
仕事外で苦痛を味わいたくない。

私生活がどんどん良くない方向へと、流れていきます。

コミュニケーションの練習にならない

引きこもりはコミュニケーションを避けがちですが、それを避けても避けた分のシワ寄せがどこかに必ず表出します。
ですのでシワ寄せが来る前に、コミュニケーションをできる限り多くいろんな場所で取った方がいいのは間違いないです。

引きこもりでコミュニケーションを取ってみて、最初は失敗してしまっても、コミュニケーションに正解はないといっても、だんだんと慣れていきます。
正解はなくとも、場数を重ねることで多くの不正解を知ることができます。

しかしコミュニケーションが極度に少なくても済む職場ですと、こういった失敗や不正解を知らずに年齢だけを重ねていきます。

コミュニケーションをうまく取れないまま高齢になるのが今よりマズい状況であることは、想像に難くないでしょう。

引きこもりだからこそあえてコミュニケーションが多い仕事に就いた方が、後々いいのかなと思います。

【社会復帰】引きこもり無職が就活で無双する方法

私は引きこもり無職から奇跡の生還を遂げ、社会復帰をしました。

過去に何度かちゃんと就職活動をしたこともあります。
しかしその時は惨敗で、1つも受かるところがありませんでした。

しかし今回は違って、キッチリと就職をキメました。

前回と今回の就職活動を改めて見つめてみて、「違うところってなんだたのか?」を考えてみました。

そして導き出された「引きこもり無職が就活で無双する方法」をご覧ください。

【社会復帰】引きこもり無職が就活で無双する方法

職歴ナシでも無双できる業界選び

業界選びがとても大事でした。

就活で不合格を喰らいまくっていたころの就職活動では、選んでいた業界が「私の就職したい業界」でした。
ここから分かることは、あくまでベースが「私側」。 あくまで私が選ぶ側、みたいな。

就活ですぐに合格をもらった時の就職活動で選んでいた業界は「私を必要としている業界」でした。
ここから分かることは、あくまでベースが「業界側」。 今度は、業界が私を欲しがっている!みたいな。

どちらが就職しやすいかは、火を見るよりも明らかですね。

職歴ナシ引きこもりで、選ぶ側に立つのがそもそも間違いだったんですよ。

選ばないと続かない!というのは間違いないですが、選ばれない人間は選ばれたところで楽しみや面白さを見つけてやっていくしかないんです。
その過程で、選んでいただいた集団の中でいろんなところから選ばれるような人材になっていけばいいんです。

ただ最初の一歩目は、選ぶより選ばれる意識が重要なのかな、と。
その選ばれる、選んでいただく意識が業界選びに現れますし、こんな職歴ナシの私でも選んでくれる業界はあります。

職歴ナシでも無双できる資格取得

職歴ナシ、引きこもり!な私でも選んでくれる業界。

そんな業界を見つけたらば、次は資格取得。

選んでいただける中で、存在価値を上げていく。
そうすることで、少しだけ、私たちが選べる側に回れます。

選んでもらっている業界内でも、少しでも選べる側に回れるのはとても大きなことです。

自分で選んで納得して、責任をもって仕事をする。
この気持ちは、仕事を続ける上でとても重要ですからね。

選ばれるばかりだと、納得もできないし責任も持てません。
少しでも選べることが、後々気持ちの面で大きな作用をします。

ですので、選んでいただける業界内で選ぶ立場に少しでも行くために資格取得!は重要なことかな、と。

コミュニケーション能力を整える

業界、資格ときて、つまるところ、最後にはやっぱりコミュニケーション力が重要なのかな。

とは言っても必要なのは、大手商社の営業マンが商談をバチバチに決める!みたいなコミュニケーション力ではないです。

ハキハキ喋る、目を見て喋る、虚勢を張らない。
くらいの漫画のモブになる、程度の社会生活を難なく送る程度のコミュニケーション力です。

業界選びが間違っておらず、相応の資格取得ができていれば、よほど変な人間でなければ採用の余地はあります。

オドオドせずに強気に、一般的なコミュニケーション方法を学びそれを実践して。
真摯に、目の前の面接官とコミュニケーションを取りましょう。

無職になって後悔したこと

仕事を辞めて無職になると「際限ない休み」がやってきます。

憧れのニート時代の、幕開けです。
時間あったらやろうと思っていた、あんなことやこんなこと、いろんなことができます。

満足感が高い人生が、ここから始まる!!!!!!!!

と思いきや、後悔することもまあまああります。

無職になって後悔したこと

貯金が高速で減る

仕事していた時代にした貯金が高速で減ります。

生活費でこれくらい?かな?って算段でやめたのに、Why?なぜ!!!!!

国民年金!ドン!
健康保険!ドン!
各種税金!ドン!

今まで会社が払ってきてくれたお金を全部自分で!??!?!?!???!?!?

って感じで、高速で貯金が減ります。
思った以上に減ります。

ですが無職なので、貯金が増えることはありません。

生活が不規則になる

朝起きて、夜寝る。
みたいな一般的な生活リズムから外れていきます。

昼夜逆転当たり前。
最初は楽しいですよ、そりゃあ。

今までは「ああ、仕事がなければもっと楽しめたのに!」と思いながら寝ていた中、起きて楽しめるんですからね。

けれどそれも当たり前になってくると、惰性で夜起きてるだけ。
別に楽しいから、特別感があって起きているワケではなくなってきます。

うつ病の序章、って感じですね。

うつっぽくなる(あくまで、ぽくなる)

貯金が減る不安感と生活の乱れが相まって、気持ちが沈んできます。

ダラダラ惰性で過ごす毎日。

何かしたい、とかそういう欲も消えてくる。
仕事を辞めたときは「アレしたい!コレしたい!」ばっかりだったのになあ。

ある程度やりたいことをやりきって、時間ばかりがあるから、消極的に惰性的に暇を潰すだけになってきます。

こんな生活じゃあ良くない、と思っても何をすればいいのか分からないし分かっても行動する余力もすでに削がれている。
ここで行動できて就職出来る人は、キチンと社会に戻れる人。

そうしていくうちに、どんどん、うつっぽくなっていく。

人に現状を言えない

無職でテキトーにダラダラ過ごしてる。
なんて、人に胸張って言える人は少ないでしょうね。

たとえ年金保険税金をすべて自分で払っていて貯金で生活を賄っていて自活していたとしても。

現状を人に言えないことで、どんどん鬱々として気持ちがたまっていきます。
人から認められたり、人に認めてもらえてると思えることって、思った以上に大事なことなんです。

余談ですが、「人に言えない」という状態は、とても危険なことです。
どんどん俗世間から離れていきますからね。

俗世間から離れると、アヤシイ集団に染まるのも時間の問題かもしれません。

無意味な自問自答が増える

鬱っぽくなる
人に言えない
さらに鬱っぽくなる
貯金が減る
不安感がつのる
人に言えない
鬱が加速する


この最悪の循環の中で、人との関わりはどんどん減っていきます。
すると人との関わりがない分、自問自答の時間が増えます。

自問自答って、大事なことです。
ただ大事なのは、行動あっての自問自答です。

引きこもりが陥りがちなのが、行動がない自問自答です。

行動してないと、当たり前ですが現実はなにも進んでいないんです。

けれど自問自答を繰り返して、自分自身を保つために何もしなかった・行動しなかったことを肯定します。
あくまで積極的撤退だった、と。

行動していく中で、あえて選んだ積極的撤退なら意味がある。
けれど行動していない状態での撤退は、撤退しか選べなかっただけ。

撤退しか選べなかったのに撤退したことを良かったように思いこむのは、終わりの始まりです。

行動なき「無意味な自問自答」が増えて、自身の精神的自立をしようとしだしたら危険信号な気がしますね。
無職からさらに、落ちるところまで落ちる可能性が高くなります。