ひっそりと。

30代のゆるりとした底辺生活を、つらつらと。

引きこもりが行動せずに考えるだけなのがNGなワケ

引きこもりは、「行動せずに考えるだけ」という状態になりがちです。

考えていれば考えているだけ、思考が深くなる。
その思考の深さは、行動したときに必ず役立つ。

そんな気がしますよね。

しかし行動せずに考えるだけだと、とんでもないことになります。
特に引きこもりは。

ではなぜヒキコモリが「行動せずに考えるだけ」がダメなのか?

引きこもりが行動せずに考えるだけなのがNGなワケ

考えがいつまでたっても変化ナシ(むしろ鬱化)

行動せずに考えているだけでは、考えがいつまでたっても変化しません。
自分の中では変化しているつもりでも、変化していません。

昔の自分を見つめてみると、考えに変化がなかったことを強く感じます。

行動をすると、それに合わせて考えも変化していきます。
考えが変わったことで、今度は行動が変わってきます。

互いに作用しあって、だんだんと行動や考えも洗練されていきます。

行動だけで考えナシの方が、考える材料があるだけまだマシな気もします。

考えだけだといつまでも考えが変わらなくて、鬱化する可能性すらありますからね。
考えが堂々巡りですから。

何の結果も残せていない現実

行動せずに考えるだけだと、当たり前ですが行動していないので何の結果も残せません。

とても小さな結果すら、残せていません。

失敗という結果ですら、傷つきはしますが考え方や捉え方によって糧になります。
次の行動の指針にもなります。

行動をしないということは、失敗すらありません。
次の行動の指針が、最初と変わらずずっとあるだけです。

傷つかない代わりに、何の結果もないという事実や現実がそこにあるだけです。
前に進まない代わりに、結果を得ないんです。

そうやって、心の安寧を図ります。

行動しなかったことを肯定して精神的自立をする

引きこもりが「行動しなかったことを肯定」するようになったら、いよいよ終わりの始まりな気がします。

行動しない先には何もないです。
得られるモノも何もないです。

しかし行動しなかったことをさも慎重だとか思慮深いだとか、いいことかの様に肯定していく。
ですが慎重さや思慮深さは、行動するから意味を成すんです。

行動なき慎重さや思慮深さは、取り越し苦労どころか自分を賢いと思い込むための毒でしかないです。
その慎重さや思慮深さは、行動がないがゆえにいつまでたっても洗練されませんし。

ただ、変化も結果も何もない現実から目を背けてなんとか精神を保つために、行動しなかったことをよく解釈しているだけです。

現状維持は緩やかなマイナス曲線

考えるだけ、で現状維持ができてるつもり。

仮に現状維持ができていたとしましょう。
しかし現状維持って、緩やかな衰退なんですよね。

現状維持できていたとしても、周りが緩やかに変化していって気が付けば大きな差に。

で、そもそも行動しない引きこもりが現状維持できているワケもなく…。

高校のテストだって勉強しているから点数を取れているのであって、数週間ならまだしも数年勉強していなかったら同じ点数は取れません。

現状維持は緩やかなマイナス曲線であり衰退。
引きこもりが行動しなかったら、現状維持すらできないのは自明。

世間ズレしていき方向転換も難しくなる

行動をしないがために考えが変化せず、いつまでたっても精神的に幼いまま。
当然何の結果もない。
しかしその現実から目を背けるために、自分に都合のいい解釈をして肯定し精神的自立をする。
現状維持どころか大幅なマイナス。同年代が出来ることが全然当たり前にできない。

これらの過程をたどって、どんどん人として世間ズレしていきます。

しかしこの時点でもう既に、自分の都合のいい解釈をする思考で固まってしまっています。
思考のクセを変えるのは、容易なことではありません。

ですので、世間ズレしていてもそこから方向転換してくことが難しくなります。
そうなると手を差し伸べてくれる人も、だんだんと減って行きます。

手を差し伸べてくれる人がいないということは、自分ひとりでなんとかしないといけないということです。
しかし客観的に見て原因を探って、それを実行する力は引きこもりにはあまりありません。

ですので手を差し伸べてくれる人を大事にし世間ズレを防いで、なんとか一般社会に溶け込むようにしましょう。